無題

精神疾患の女がつれづれなるままに。

2019年11月14日、ブログはじめました。

友人に勧められブログを始めました。文章を書くことが好きなので、前々からブログをやってみたいと思いつつも、読んでくれる人っているのか、一体誰得なんだ…などなど思案し、開設には至っていませんでした。今回は良い機会をいただきました。勧めてくれた友人には感謝です。

 

さて。初回は何を書こうか、外出からの帰路でアイデア出しをしておりましたが、やはり自己分析という名の自己紹介からはじめてみることにします。

 

私は大阪で生まれ育ち、現在も実家に住んでおります。誕生は二十数年前。決して良いとは言えない家庭環境の元で生活していました。典型的な「機能不全家庭」でしょう。(現在も?)(昔より状況は改善されていますが。)

 

家庭のことについて考えるのは、私にとっては辛いことであるけれども、一方で私という個人を形成する重要な要素でもあると思います。私という人間を説明するには避けて通れないことだと思います。

 

それも書きたくなれば追々書いていこうと思います。一言でいいますと、私は婚外子として誕生しました。

 

そうして自宅で様々な辛いことを経験し、いつの間にか精神疾患を持つようになりました。何をきっかけに発症したのかは未だにわかりません。私の元来の性格と家庭環境が大きな原因であるとは思いますが。いつからか狭い箱に入れられているような心苦しさ…とにかく生きづらいと思うようになり、他人に悪影響を及ぼすようになったのは大学5年生の頃でした。(語学留学により1年留年。)

 

実は、それ以前にカウンセリングを受けていた時期があります。大学1年、18歳の夏、母親の様だった祖母を亡くし本当に文字通り「笑えなく」なったのです。そうして辿り着いたのは「心理相談室」。その頃は祖母の急逝以外にも色々と悩みを抱えてはおりましたが(大学での勉強やバイトのことなど)、それらを抱える私の心の状態は約2年間のカウンセリングで随分改善されたように思います。

 

そうして憧れだったイギリスでの語学留学をクリアな心境のまま終え、大学5年生になり、就活を終えた2016年6月のことです。私は当時お付き合いをしていた男性との外出中に突然の強い不安感を覚え、過呼吸に陥りました。後日自宅から電車とバスで30分のクリニックを受診したところ、「全般性不安障害」「(躁)うつ病」という診断を受けました。

 

それからは、服薬と寛解を繰り返し、卒論を書き上げ大学を卒業。初診から1年もしないうちに東京でサラリーマンとして働くことになりました。この頃は自分がなぜ精神疾患を抱えているのか、なぜ自分が「選ばれて」しまったのか、やり場のない怒りで周囲を傷付けてばかりいました。今考えると、本当にただの八つ当たりなのですが、そのころの私はそうして怒りをぶつけることしかできませんでした。病気の私は他人を傷付けてもしょうがない、周囲は私に配慮するのが当然だと思い込んでいました。傷付けてしまった人には本当に申し訳ないことをしたと思います。ごめんなさい。

 

東京にいる間も、様々な(ツライ)ことがありましたが、それはまたいつか書こうかな。(ここで書くとブログが終わりません。)

 

その後、一人暮らしのサラリーマン生活を1年で終え、大阪の実家に帰ってきてから今月で1年と7ヶ月近くになります。私は今でも通院し、精神疾患の治療をしています。通院を始めた3年前と比較して、私は自分の精神疾患を随分受容できてきたのではないかと思います。過去の私は、病気を「治す」ことで頭が一杯でした。薬をゼロにして、通院から卒業することがゴールなのだと。

というより、治療にはゴールがあることが私にとって当たり前のことだった、と表現する方が適切でしょうか。歯医者に行って歯を治療する、内科に行って風邪薬をもらう、そして通院が終わる…。私の中では「治療」というものはゴールありきのプロセスだったのです。ですから余計に、長期間通院しなければならない自分が許せなかったのだと思います。病気が治らないのは私が変われないからだ、と。同じことを繰り返す私はダメ人間じゃないか…!と。そうして自責の念は八つ当たりへと姿を変えたのだと今なら理解できます。(当時の自分よ、冷静に…。)

 

初診から3年ほど経ったでしょうか、今では、なるべく心穏やかに、感情の起伏をなるべく減らすように生活することを心がけるようになりました。「薬ゼロ&終診」から「現状維持」という目標に切り替えたことで、プレッシャーが軽くなったなあとしみじみ思います。憑き物が取れたような、肩こりが突然スッと治ったようなそんな感覚。そして私はやっと、生きることがラクだと思えるようになった!!!

こんな風に私が変われたのは、私の大学時代の親友のおかげ。彼女の協力無しにはこの感覚に辿り着くことは一生無かったでしょう。過激な表現をすると、今頃私はこの世界にいなかったのではないかと思います。それくらい、彼女は私の人生観を変えてくれました。ありがとう。

 

 

あぁ、ちょうど本日、精神障害者福祉手帳の申請をしてきました。審査には2ヶ月ほどかかるとのこと。結果はどうなるでしょうか?

 

書き忘れておりましたが、仕事のことを少々。東京でハード系の商社マン(営業、事業企画)をしておりました。現在はフリーターとして古着屋さんのライターをしながらほぼ無職の生活を送っております。就労継続支援B型を検討中。

 

思ったことをつらつらと、特に縛りを設けるでもなく、本当に心の赴くままに書いてゆきます。ツライことも楽しいことも、悲しいことも嬉しいことも、私がここに書くことは全て本音です。私に建前は存在しません。このブログが不快だという方もいらっしゃるかと思います。そんな時は静かにブラウザバックをお願い致します。

 

では、本日はこの辺で。明日はポケモン剣盾!!!!