無題

精神疾患の女がつれづれなるままに。

結果を踏まえて感じたこと

昨日2019/11/21、先のブログにも書いたように、心理検査の結果を知りました。

 

それを踏まえて、思い出したこと、感じたことを書き留めておきたいと思います。

 

私が「発達障害ではないか?」と感じたきっかけは、ある友人の指摘によるものでした。彼女は発達障害、私は精神疾患を抱えている中で、お互いの状況を話していたところ「ねえ、それってADHDじゃない?」と言われることが多々ありました。確かに、彼女の経験談を聞けばわたしにも思い当たるフシがある…。それから、彼女の教えてくれた大きい病院に移り、心理検査を受けることになったのです。

 

心理検査は3時間ほどかかりました。個人的には、どれもこれも初めての経験で、すごく楽しみながら検査を受けることができました。「ほー心理検査ってこういうものなのか。」というのが素直な感想。パズルのような検査から、絵を描いたり、イラストを見てストーリーを考えたりするような検査など、一体これらから何がわかるのだろうか?と興味が大きかったのを覚えています。

 

そして検査結果が伝えられた昨日。一番に思い浮かんだのは「やっぱりか。」ということでした。

厳密には、発達障害で確定というわけではなかったのですが、スコアは基準値を超えていたので"ボーダーライン"と言えばいいのでしょうか?(発達障害の方は、スコアが基準値より20、30と大きく伸びるそうですが、私の場合は10以下の差異しかありませんでした。)

しかし、医師のパソコンの中に表示された私の検査結果に、赤字のスコアが確実に並んでいたことに変わりはありません。

 

私の特徴をもう一度振り返ると、以下のようです。

 

知識は豊富にあり記憶力も高いが、作業効率が悪い(それをアウトプットするのに時間を要する、または難しい)。

→頭ではわかっているのに何故かできない。

 

また、場の空気や人の感情を読み取って理解することが難しい。

→デリカシーのない発言をしてしまう。

 

ここで、東京での会社員時代の経験をお話します。

「私は責任感がない」「先輩方に敬意を払えていない」と幾度となく先輩から指摘を受けました。しまいには「みんな私のことをそんな風に評価しているからね。仕事なくなるよ?」と。私は「え?ちゃんとやってるやん。」という感情に加えて、「じゃあ責任感ってなんなのよ。敬意を払うってどういう行動をすればいいの?」と納得がいかない気持ちがフツフツと湧いてきて、先輩に「じゃあ、責任感のある行動ってどういうことですか?」「敬意を払うというのはどうすればよいのですか?」と聞き返しました。先輩方に自ら進んで嫌われようとする意図はこれっぽっちもなかったため、先輩からそのような評価をされていること、また指摘を受けることが本当に純粋に心から理解できなかったのです。だから私は、責任感とはなんなのか、敬意とはなんなのか、素直に知りたいという気持ちでいっぱいでした。「私が先輩の思っていることと違うことをしているなら、教えてください。私は今、これが正しいと思って行動しているのです。」と。

しかし、返答は「生意気だよ。開き直りじゃん。」という一言でした。それからは先輩との関係は悪化する一方で、「向いてないよ。辞めたら?」と言われてしまいました。売り言葉に買い言葉、そのまま私は会社を退職することになったのです。

 

今考えれば、これらの行動は私の発達障害の傾向が強く出ているとわかります。

まず、「責任感」「敬意」という単語の意味は理解できる。しかしそれを「行動で表現する(アウトプット)」ということができない。具体的に「こういう振る舞いをしなさい」という表現をされないと行動できない。

そして「責任感や敬意とはどのように行動すればよいのですか?」と、場にそぐわない、開き直りと思われても仕方がない(私にはそのような意図は毛頭ありませんでしたが)言動を簡単にしてしまう。これを言うことで場がどうなるのか、言われた相手がどう思うのか想像できない。空気が読めない、人の感情がよめないということ。

 

また、仕事を教わった際、先輩に言われた方法が難しく、自分のやりやすい方法でやっていると「こうしたほうが時間もかからないし簡単だって言ったでしょ?」と、また1〜10説明される。そして「さあやってみて。」

その時の私のことは、今でもハッキリと覚えています。頭が真っ白になって何も考えられなくなり、手が止まりました。先輩が隣で教えてくれている内容が日本語として入ってこない。この人は一体何を話しているのか?なんだか目眩すらしたのを覚えています。あの時の私は本当にパニックで、泣きそうになるのを必死に堪えながら「えっと…できません…。」と一言絞り出すので精一杯でした。周りの先輩方も、こちらの様子を伺っているのがわかりました。

実は、その先輩に教えられた方法は、少しややこしいのですが、一度にまとめて終わらせることができる。対して私は、時間はかかるが一つ一つ個別にこなす。一つの手続きが簡単になるので、私にとってはこれが確実でミスなくできる方法でした。

自分のやり方でない方法になると、とたんに慌てて出来なくなる。これもおそらく発達障害の傾向だと思います。他には、よく考えれば別の近道があるのに、結果的に遠回りになりながらもいつもの道を通ってしまう。といったこともありました。強いこだわりがあるのだと思います。

 

 

ボーダーではありましたが、発達障害の傾向が強く出たということは、私にとっては救いでした。言葉にできないモヤモヤを普段から感じていましたが、それがやっと証明されたということ。私の「気のせい」「気持ちの問題」「性格の問題」ではなかった。検査を受けた私の脳みそが証明してくれた。

 

検査を受けずにいたら、今頃私は自分自身に「性格が歪んでいる社会不適合者」というレッテルを貼っていたと思います。いや、既に貼られていたものを剥がれないようにさらに上から保護シートを被せて、ニスを塗っていたでしょう。(笑)

私は、昨日で「できないことだらけのダメな人間」から「苦手なこと以外はできる人間」と、おでこのステッカーを貼り直しました。(笑)といっても、自分が何ができるかあやふやなところがまだありますが。

 

なかなか勇気が出ず、どこかに働きに出るということが今だ難しい状態ですが、医師からは「前もってこのことを伝えて配慮してくれる場であれば、仕事はできると思いますよ」と言ってくださいました。私でもできるのかなぁ、とすこーしだけ、前向きな芽が出たように思います。